ロサンゼルスでウォルト・ディズニー聖地巡礼
1923年10月16日、当時21歳だった Walt Disney(ウォルト・ディズニー)は、ニューヨークを拠点とする配給業者マーガレット・J・ウィンクラーと、短編アニメーション映画「アリス・コメディ」シリーズの制作契約を結びました。この日は、ウォルトと30歳だった彼の兄 Roy O. Disney(ロイ・オー・ディズニー)が、「ディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオ(Disney Brothers Cartoon Studio)」をロスフェリスに設立した日でもあります。そして今日、 Walt Disney Company(ウォルト・ディズニー・カンパニー)はバーバンクに Walt Disney Studios (ウォルト・ディズニー・スタジオ)を本社に置く世界的大企業になりました。
ウォルター・エリアス・ディズニーは、1901年12月5日にシカゴで生まれました。その後、1923年7月に兄ロイの結核の療養のためにロサンゼルスへ移住しました。その際、ウォルトはわずか40ドルの現金と、ボロボロのスーツケース一つでロサンゼルスにやってきたとされ、ディズニーの有名な逸話になっています。
ウォルト・ディズニーは、1923年の夏から1966年に亡くなるまでの43年間をロサンゼルスで過ごしました。ここロサンゼルスは、ミッキーマウスが誕生した場所であり、ディズニーが初の長編アニメーション映画『白雪姫』で映画界の歴史を塗り替えた地でもあります。また、妻のリリアンと出会い、ダイアンとシャロンという2人の娘を育てたのもここロサンゼルスです。
ディズニーは20世紀を代表する巨匠であり、世代を超えて受け継がれる遺産を持つ、人々に愛された国民的至宝、そして文化的なアイコンとして広く認められています。
歴史的な映画スタジオから文化施設、お気に入りのレストランまで、ウォルト・ディズニーの非凡な生涯におけるロサンゼルスの重要スポットをご紹介します。
スタジオ
キングズウェル・アベニュー (KINGSWELL AVENUE)
ディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオを設立した後、ウォルトとロイはロスフェリスにある不動産オフィスの裏(キングズウェル・アベニュー4651番地)にオフィスを構えました。「アリス・コメディ」シリーズの収益が入り始めると、隣のスペース(キングズウェル・アベニュー4649番地)も借り、スタジオは本格的な拠点になりました。
リリアン・バウンズは1924年1月に秘書およびアニメーションのセル画インク担当としてキングズウェル・スタジオで働き始め、その1年半後にウォルトと結婚しました。1928年にウォルトが彼女に「モーティマー・マウス」という新しいキャラクターを見せた際、リリアンが代わりに「ミッキー」を提案したというのは有名な話で、そこから歴史が始まりました。現在、そのオフィスは、スケートショップ Kingswell(キングスウェル)、最初のスタジオは印刷ショップ Extra Copy(エクストラ・コピー)になっています。
ハイペリオン・スタジオ (HYPERION STUDIO)
1926年1月、兄弟はスタジオをハイペリオン・アベニュー2719番地に移転し、社名を Walt Disney Studio(ウォルト・ディズニー・スタジオ)に変更しました。ハイペリオン・スタジオの時代には、『蒸気船ウィリー』(1928年)でミッキーマウスがデビューし、ディズニー初の長編アニメーション映画『白雪姫』(1937年)が公開されました。
『白雪姫』の商業的な大ヒットの後、バーバンクにある51エーカー(東京ドーム4.4個分ほど)の土地に1万ドル(150万円/現在の価値で3300万円ほど)の手付金を払い、最先端のアニメーションスタジオを作りました。『ピノキオ』や『ファンタジア』の制作中でスタジオの拡張が必要だったこともあり、1940年にバーバンクへ移転。ハイペリオン・スタジオの建物はいくつか新しい施設へと移設されましたが、残りは売却され、その後の1966年に取り壊されました。現在残っているのは、スーパーマーケットの「ゲルソンズ(Gelson's)」と、この地をロサンゼルス歴史文化記念物No.163に指定された記念碑だけです。
ウォルト・ディズニー・スタジオ (WALT DISNEY STUDIOS)
高く評価されているミッドセンチュリーの建築家ケム・ウェバーは、 Walt Disney Studios(ウォルト・ディズニー・スタジオ)のオリジナルの建物や、有名なアニメーターのデスク(下記のアカデミー博物館のセクションを参照)を設計しています。バーバンクの敷地内にあるアニメーション・ビルのデザインはストリームライン・モダン調で最高傑作と評されており、ディズニーはアニメーターのために自然光を取り入れられるよう、できるだけ多くの窓を設けることにこだわりました。ここでは、『ダンボ』『バンビ』『シンデレラ』『不思議の国のアリス』『ピーター・パン』『わんわん物語』『眠れる森の美女』『101匹わんちゃん』『ジャングル・ブック』など、数々のディズニーの名作が描かれました。
1990年に建設されたマイケル・D・アイズナー・ビル(旧チーム・ディズニー)は、スタジオのメインビルでありディズニーの本社です。マイケル・グレイヴスによる遊び心あるデザインで、屋根を支えるカリアティード(人型支柱)スタイルは「七人のこびと」でよく知られています。テラコッタ製の像は19フィート(約5.8メートル)ありますが、「おとぼけ(ドーピー)」の像だけは3分の2のサイズになっています。建物は「ディズニー・レジェンド・プラザ」に面しており、そこにはイマジニアのブレイン・ギブソンがデザインしたウォルト・ディズニーとミッキーマウスの「パートナーズ像」のレプリカが設置されています。
ウォルト・ディズニー・カンパニーの公式ファンクラブ「D23」では、会員向けにウォルト・ディズニー・スタジオを巡る2.5時間の walking tour(ウォーキングツアー)を開催しています。この一生に一度は体験したいツアーには、ウォルト・ディズニーのオフィススイート、ウォルト・ディズニー・アーカイブス、レジェンド・プラザへの見学が含まれます。週末のツアーでは、D23向けに土曜日のみ公開されているアニメーターのオフィス展示を見学することができます。また、「ディズニー・スタジオ・ストア&エンプロイー・センター」でここでしか手に入らない限定アイテムを購入することも可能です。
アカデミー賞
ウォルト・ディズニーは59回のアカデミー賞ノミネートを受け、22回受賞しました。どちらも史上最多記録です。ロサンゼルスで最も有名で歴史あるオスカー受賞の足跡をたどってみましょう。
1932年第5回アカデミー賞で新設された短編アニメーション部門(現在の短編アニメーション映画賞)において、ディズニーは『花と木』で、初のオスカーを受賞しました。また、ミッキーマウスの創造に対して名誉賞も授与されました。翌年には『三匹の子ぶた』が同様に短編アニメーション部門を受賞。両方の授賞式は、現在は取り壊されているアンバサダー・ホテルで開催されました。
The Biltmore Los Angeles - 授賞式の舞台がダウンタウンLAのランドマークであるビルトモアに移った後も、ディズニーは短編アニメーション部門を圧倒し続けます。
- うさぎとかめ (第7回アカデミー賞)
- 三匹の迷い子猫 (第8回)
- 田舎の従兄弟 (第9回)
- 風車小屋の秘密 (第10回)
- 雄牛のフェルディナンド(第11回)
第11回アカデミー賞において、「何百万人もの人々を魅了し、映画カートゥーンにおける偉大な新分野を切り拓いた、画期的な大画面のイノベーションとして認められた『白雪姫と七人のこびと』を制作したことに対して」名誉賞を授与。この特別な賞は、1つの通常のオスカー像と、階段状の台座に並んだ7つのミニチュアのオスカー像(七人のこびとを表現)というユニークな形をしています。
TCL Chinese Theatre (TCLチャイニーズ・シアター)- ロサンゼルスで最も壮麗な映画館の一つTCLチャイニーズ・シアター(当時はグラウマンズ・チャイニーズ・シアターとして知られていた)は、第16回、第17回、第18回のアカデミー賞授賞式の会場となりました。この3回の式典すべてでディズニーの短編アニメーションがノミネートされましたが、オスカー獲得には至りませんでした。その後、1964年8月27日には『メリー・ポピンズ』の世界プレミアがこのチャイニーズ・シアターで開催されました。『メリー・ポピンズ』は13のアカデミー賞にノミネートされ、主演女優賞(ジュリー・アンドリュース)、編集賞、作曲賞、特殊効果賞、歌曲賞(「チム・チム・チェリー」)の5部門を受賞しました。
Pantages Theatre (パンテージズ・シアター)- 1950年から1960年まで、アカデミー賞の授賞式はハリウッドのパンテージズ・シアターで開催されました。ディズニーはここでさらに10回の受賞することになります。第26回アカデミー賞において、ディズニーは4つの部門でノミネートされ、そのすべてで受賞を果たしました(短編アニメーション賞、短編実写賞(2リール)、長編ドキュメンタリー映画賞、短編ドキュメンタリー映画賞)。
Dorothy Chandler Pavilion(ドロシー・チャンドラー・パビリオン) - ディズニーは第41回アカデミー賞において、『プーさんと大あらし』で最後のオスカーを受賞しました。
エル・キャピタン・シアター
1926年に劇場としてオープンした El Capitan Theatre(エル・キャピタン・シアター)は、1991年の『ロケッティア』のプレミア以来、ハリウッド・ブルーバードはディズニー映画の本拠地となっています。マーベル、ルーカスフィルム、ピクサーがすべてディズニーの傘下に入ったことで、プレミア上映される映画のジャンルや世界観は多岐にわたるようになりました。最新作の先行上映や特別なファンイベントだけでなく、センサリー・フレンドリー上映やオープンキャプション(字幕付)の上映も行われています。一部の映画やホリデーシーズンの特別上映の際には、映画本編の前にステージショーが催されたり、記念品の展示が行われたりすることもあります。
ストーリーブック・マンション
1932年、ディズニー夫妻は現在「ストーリーブック・マンション」として知られる、ロスフェリスの丘にある約180坪の家(4053 ワーキング・ウェイ)に引っ越しました。その後、1933年にダイアンが生まれ、1936年にはシャロンを養子に迎えました。ここで家族が過ごした時期は、ウォルト・ディズニー・スタジオにとって劇場公開作品の驚異的なヒットラッシュの時期であり、『白雪姫』(1937年)から『バンビ』(1942年)など「アニメーションの黄金時代」と重なっています。
邸宅はフランク・クロウハーストが設計。ロサンゼルスの絶景が望める4つの寝室と5つの浴室、2階吹き抜けのリビングルームと10台収容のガレージ、そして娘たちのためのミニチュアのプレイハウス(おままごと用の家)があります。ウォルトは1階のホームシアターで制作中の試写(ラッシュ映像)をチェックしていました。ディズニー一家は1950年にホルムビー・ヒルズに引っ越すまで(下記の「ウォルトの納屋」を参照)ワーキング・ウェイで暮らしました。
現在のオーナーは映画監督のティムール・ベクマンベトフ氏で、時どき、このストーリーブック・マンションを一般公開しています。今後のイベントについては、Facebookの Walt Disney’s Storybook Mansion のページをフォローして確認してください。
白雪姫のコテージ
1931年にベン・シャーウッドが設計した「白雪姫のコテージ(Snow White Cottages)」は、ハイペリオン・スタジオの跡地から数ブロック離れたグリフィス・パーク・ブルーバード2900番地に位置する、全8棟からなるおとぎ話のような集合住宅です。約20坪の1ベッドルームのコテージの後ろには、中央の中庭を見下ろすタワーが立っています。前述の「タム・オ・シャンター」と同様、これらのコテージが『白雪姫』に登場する「七人のこびとの小屋」のデザインに影響を与えたことが想像できます。なお、白雪姫のコテージは、デヴィッド・リンチ監督の映画『マルホランド・ドライブ』(2001年)において、「シエラ・ボニータ・アパートメント」として登場しています。
地元の歴史家クリス・ニコルズ氏は自身のコラム Ask Chris の中で、ウォルト・ディズニー・アーカイブスの創設者である故デブ・スミス氏への取材を行い、このコテージに名だたる名優が住んでいたことを記しています。監督のハミルトン・ラスケ(『ピノキオ』『ファンタジア』『シンデレラ』『不思議の国のアリス』『ピーター・パン』『わんわん物語』『101匹わんちゃん』『メリー・ポピンズ』)、アニメーターのディック・ランディ(『白雪姫』や多数の短編)、アニメーターのフレッド・ムーア(『白雪姫』『ピノキオ』『ファンタジア』『ダンボ』『シンデレラ』『不思議の国のアリス』)、そしてライターのリー・モアハウス。
また、ローカルメディアのThe Eastsider には、アートディレクターのクロード・コーツ(『白雪姫』『ダンボ』『わんわん物語』)とその妻エベリンもこのコテージに住んでいたと書かれています。
タム・オ・シャンター
1922年6月、ローレンス・フランクとウォルター・ヴァン・デ・カンプは、ロスフェリス・ブルーバードの道路沿いに「モンゴメリーズ・カントリー・イン」をオープンしました。1925年にはロバート・バーンズの詩にちなんで Tam O'Shanter と改名されましたが、義理の兄弟は、のちの1938年に、ラ・シエネガに「ローリーズ・ザ・プライムリブ(Lawry's The Prime Rib)」を開店することになります。
タム・オ・シャンターは、ビバリーヒルズにある通称「魔女の家(スパデナ・ハウス)」も手がけたた、アカデミー賞ノミネート経歴のあるアートディレクター、ハリー・オリバーによってストーリーブック・スタイルで設計されました。1920年代、このレストランはルドルフ・ヴァレンティノ、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、リリアン・ギッシュ、グロリア・スワンソンなどのハリウッドの伝説的スターたちのたまり場でした。
ハイペリオン・スタジオからわずか数マイルの距離にあったため、ウォルト・ディズニーとそのスタッフはタム・オ・シャンターの常連となり、あまりの頻度から「ディズニー・スタジオの社員食堂(コミッサリー)」として知られるようになりました。ファンの間では、暖炉の近くにある「31番テーブル」がディズニーチームのお気に入りだったことで有名で、そこには記念プレートが設置されているほか、ハイウエスト・ダブルライ・ウイスキーを使った特製の「テーブル31 カクテル」も用意されています。ディズニー自身はパティオ席を好んでいたと言われており、長い休息期間を経て2018年に再オープンしました。
2022年10月、イマジニアでありエグゼクティブ・クリエイティブ・デザイナーのクリス・ターナー氏からタム・オ・シャンターへ、レストランの100周年とディズニーとの長い交友を祝した オリジナル絵画 が贈呈されました。絵画はレストランのユニークな内装からインスピレーションを得たもので、スタッフの特徴であるタータンチェックの制服が印象的です。受付には、スコットランドの正装を着たローレンス・フランクのカリカチュア(風刺画)が展示されています。この絵はジョン・ヘンチが手掛け、1958年にウォルト・ディズニーが直筆サインを入れたものです。
ウォルトの納屋
1950年、ディズニー一家は高級住宅街ホルムビー・ヒルズのキャロルウッド・ドライブ355番地へ移り住みました。生涯の鉄道ファンであったウォルトは、実際に乗ることができ敷地を一周することができる1/8スケールのミニチュア鉄道 Carolwood Pacific Railroad (CPRR)(キャロルウッド・パシフィック鉄道)を創りました。本物の蒸気機関車はウォルト・ディズニー・スタジオの機械工場で製造され、妻の名前にちなんで「リリー・ベル号」と名付けられました。車掌車(カブース)はウォルト自身の手によって製作されたものです。
ウォルトは家族や友人のためにCPRRを走らせ、時にはお客を乗せたり、運転させたりして楽しみました。ロサンゼルス・ライブ・スチーマーの創設メンバーでもあったウォルトは、グリフィス・パーク内にある Los Angeles Live Steamers Railroad Museum(ロサンゼルス・ライブ・スチーマー鉄道博物館)にCPRRの線路(約450メートル)を寄付しました。ウォルトの亡き後、妻のリリアンが残りの線路も同博物館へ寄付しています。
CPRRの運行管理センターとなっていたのは、ミズーリ州にあるディズニーの家族農場にあった納屋を模して作られた赤い納屋でした。1999年7月、この納屋はロサンゼルス・ライブ・スチーマー鉄道博物館の敷地内へと移設されました。
現在はキャロルウッド財団によって運営されているWalt’s Barn は、ディズニーが愛用した工具や鉄道設備、ミニチュアの駅舎などのコレクションを誇るファミリー向けの博物館となっています。ウォルトの納屋は通常、毎月第3日曜日の午前11時から午後3時まで開館しています。最新の情報については、ウォルトの納屋の Facebook page ページを確認してください。
ウォルト・ディズニー・コンサートホール
Walt Disney Concert Hall (ウォルト・ディズニー・コンサートホール)は、2003年10月に一般公開されて以来ロサンゼルスの象徴となりました。ダウンタウンLAのグランド・アベニューに位置するこのコンサートホールは、2,200席以上の座席数を備え、ロサンゼルス・フィルハーモニックとロサンゼルス・マスター・コーラルの本拠地となっています。プリツカー賞受賞の建築家フランク・ゲーリーが設計し、豊田泰久氏が音響設計を手掛けたこのホールは、その見事な建築美と素晴らしい音響効果で、世界中から絶賛と賞賛を浴びています。
屋上にある Blue Ribbon Garden (ブルーリボン・ガーデン)は、一年を通じて花々が咲き誇る豊かな緑に包まれています。庭園の見どころの一つが、故リリアン・ディズニーと、彼女が愛したロイヤル・デルフトの磁器花瓶やバラへのオマージュとしてフランク・ゲーリーがデザインした噴水 A Rose for Lilly (リリーへのバラ)です。この噴水は大きなバラの形をしており、何千ものデルフト磁器やタイルの破片で覆われ、世界に一つだけのモザイク模様を作り出しています。ブルー・リボン・ガーデンでは、観劇前後のレセプションやプライベートイベントも開催されます。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
Walt Disney received two stars on the Hollywood Walk of Fame in February 1960: in the category of Motion Pictures (7021 Hollywood Blvd) and Television (6747 Hollywood Blvd). Walt's brother Roy received his star in the category of Motion Pictures (6833 Hollywood Blvd) in July 1998.
Walt Disney(ウォルト・ディズニー)は1960年2月、 Hollywood Walk of Fame(ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム)で「映画部門」(7021 Hollywood Blvd)と「テレビ部門」(6747 Hollywood Blvd)の2つの星を獲得しました。ウォルトの兄であるロイも、1998年7月に映画部門(6833 Hollywood Blvd)で星を授与しています。
Mickey Mouse became the first animated cartoon character to receive a star (6925 Hollywood Blvd), which was dedicated on his 50th anniversary in November 1978. Mickey has since been joined by several more Disney characters, including a few at the Ghirardelli Soda Fountain & Chocolate Shop (6834 Hollywood Blvd) next to the El Capitan.
ミッキーマウスは1978年11月、50周年を記念してアニメーションキャラクターとして初めて星(6925 Hollywood Blvd)を獲得しました。それ以来、エル・キャピタンの隣にある「ギラデリ・ソーダファンテン&チョコレートショップ(6834 Hollywood Blvd)」前をはじめ、多くのディズニーキャラクターがミッキーの仲間に加わっています。
- 白雪姫 (6920 Hollywood Blvd) - 女性キャラクターとして初の星で、1987年6月の『白雪姫』50周年を記念して授与されました。
- ドナルドダック (6840 Hollywood Blvd) - 2004年8月、スクリーンデビュー70周年を記念して授与
- ミニーマウス (Ghirardelli前) - 2018年1月、スクリーンデビュー90周年を記念して授与
- ティンカー・ベル (Ghirardelli前) - 2010年9月、誕生105周年を記念して授与
- くまのプーさん (Ghirardelli前) - 2006年4月、原作誕生80周年を記念して授与
フォレスト・ローン・グレンデール
ウォルト・ディズニーは1966年12月15日に亡くなりました。彼へ哀悼の意を捧げるなら、グレンデールにある Forest Lawn Memorial Park(フォレスト・ローン・メモリアル・パーク)の本店を訪れるとよいでしょう。 ウォルトは死の2日後に火葬され、フリーダム・モザリアム(納骨堂)の入口に隣接するプライベート・ガーデンに埋葬されました。この庭園には『人魚姫(リトル・マーメイド)』の像が佇み、妻のリリアン、娘のシャロン・ディズニー・ブラウン・ランド、そして義理の息子ロバート・ブラウンも共に眠っていることを示す銘板が設置されています。
約120ヘクタールの広さを誇り Smithsonian(スミソニアン誌)から「墓地界のディズニーランド」と評されたフォレスト・ローンには35万人以上の人々が眠っており、世界中のどの墓地よりも多くのハリウッドスターが埋葬されています。なお、プライバシー保護の観点から、スタッフはウォルト・ディズニーをはじめとするどなたのお墓の場所も案内していないため、巡礼に訪れるファンの方はご留意ください。