風月堂の歩み
1956年の店舗改装以来、変わらない風情と趣のある風月堂。リトル東京の1番通りのショップやレストランに並び、こじんまりとした店内には、木製の棚に和菓子が並べられています。週末には、歩道までお客の列があり、日本の和菓子の人気が伺えます。
1903年創業の風月堂は、伝統的な正月のお餅の生産量ではアメリカ最大。家族経営ながら年末の数日間は24時間営業を続けています。風月堂は、歴史に彩られた店だが、ピーナッツバター餅、ガナッシュ入りのコリーズ・チョコレート餅、スナックサイズのレインボーだんごなど、定番商品をモダンにアレンジした商品も人気です。
創業120周年を間近に控え、風月堂は記録的な業績を上げています。風月堂を率いる3代目の和菓子職人、ブライアン・キトは「コロナになったとき、私たちは飛躍しました」と、言っています。「風月堂はコンフォート・フードなんです。」
お餅は、ひな祭り、子供の日、七夕など、さまざまな祝日に関連していると、キト氏。そして、もち米から作られるこの伝統的なお餅の最大の需要は、お雑煮にして食べるお正月。通常、お正月の餅つきは、大勢で協力してお餅をつきます。
年末の数日は「餅マッドネス」と呼ばれる有志のチームが集まり、チーム一丸となってお正月の注文をこなし、一年を締めくくるのです。チームワークですね。と、キト氏は言います。
キト氏は、人生の大半を風月堂で過ごしました。「クリスマス休暇はいつも風月堂にいました。」と、キト氏。中学生の夏の間は、店内でソーダ・ファウンテンを販売していました。(20世紀半ばに製造されたソーダ・ファウンテンは、現在稼働はしていませんが、まだ店内にあります)。10代はお正月の繁忙期の手伝いをし、大学時代は授業と週6日の仕事を両立させ1986年に卒業。キト氏は父ロイから風月堂を引き継ぎました。
祖父の清一が創業した風月堂でしたが、引き継いだ後の経営は決して楽なものではありませんでした。1980年代後半、リトル東京を訪れる人が減り商売は低迷します。風月堂が90周年を迎える頃に諦めかけましたが、父は100周年まで頑張ると言い、そして、100周年を迎えたとき、自分がこの地域に根付いていることに気づいたんです。もうここを離れることはないですね、とキト氏。
風月堂の創業100周年は、和菓子の開発時代の始まりでもありました。風月堂の人気商品のひとつである「ピーナッツバター餅」は、この時期に生まれます。モチモチとしたイチゴ風味の餅とピーナッツバターは、ピーナッツバターとゼリーのサンドイッチを思い起こさせるものでした。その数年後、風月堂はキトの息子にちなんで「コリーのチョコレートもち」を発売します。
お店では、おやつ用の一口サイズのお餅も提供しています。カラフルな縞模様が目を引く「レインボーだんご」はとっても人気。元々は風月堂のロングセラー商品だった紅白の縞模様の餅だったが、売れ行きが悪くなったので一新。「いろんな色の小さなおだんごを作るようにした途端、また売れ出したんです」と、キト氏は言います。
その理由のひとつは、若い客層にアピールするためだったと彼は言います。特に1990年代、リトル東京に来る日系アメリカ人の子供が減っていた時期がありました。「あまり馴染みのない世代の日系アメリカ人に、アピールする必要があったのです」と彼は言います。
日系アメリカ人が、私たちの基本的なターゲットです。リトル東京の経済は、日系アメリカ人がこの地域に貢献してくれるかどうかにかかっているのです。
風月堂には、ヘーゼルナッツ・チョコレート・ガナッシュをトッピングした、イチゴあんこ、抹茶あんこ、ブルーベリーあんこなどの "創作"ラインもあります。
ここ数年、風月堂だけでなく、この界隈全体の小売業が増加している、とキト氏は言います。「コロナになったとき、リトルトーキョーは日系人にとってより重要な存在になりました。彼らはリトル東京を失うと思ったのでしょう。文化を反映してるんですね。」
風月堂の長寿には秘訣があります。「自分の店だけではなく、地域の店なのです」と、キト氏。
「今、おじいちゃん、おばあちゃんになっている人たちが、子供の頃におじいちゃん、おばあちゃんと一緒に店に来たことを覚えているんです」子供の頃、祖父や祖母と一緒に来ていたあの頃のつながりは、いつまでも残るものなのですね。
風月堂
315 E. 1st St. ロサンゼルス, CA 90012
(213) 625-8595